「作品」「作家」「時間」11151039

 人はいつ死ぬともしれないとなんとなく思って生きてきて、将来のことなど考えずに生きてきたのだと講義を聞いて思った。「作品」を書いている途中に「作者」が死んでしまうのはあることで、未完のままに世の中に出回った「作品」は多い。こだわればこだわるほど「時間」はかかり、リスクは高まる。それでも生きているものとして未来の予定を作らなければ予定は成り立たない。生きているものとして、生きていくものとして将来を見据えなければ自分で未来を選択することはできないのだということだ。当たり前のことながら締め切りを作るにはまず未来の「時間」、「作家」の労力が必要で、作り上げるまでの「時間」が過去になった時初めて「作品」が完成するのであって即席で簡単にできるものではないのだ。完成品ばかり目にしてその「作品」を「作者」がどれだけの「時間」や努力で書き上げてきたのか、考えたことはあったが、具体性はなかった。こだわりを持って描いたものが売れるというわけではなく、しかしこだわりを持ち労力と「時間」をかけて書き上げた作家はどうやら私の思っていたよりも多いようで、本の値段の決まる経緯や部数の選択それらの背景があるとは知らなかった。出版の知識はもちろん出版社の裏側や「作家」の暮らしそういったものを学べたのは私にとって大きな収穫だったと思う。

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作家 作品 時間の関係

作家が作品を書き上げるのは、たいそうな
時間がかかる。時間を掛けて作るのに、出版社
などを通すと作家の収入の割合が低くなる。
それなら自分で全ての作業をして
自主制作をすればいいと思うかも
しれないが、それはそれでコスト
がものすごくかかってしまう。
だから、コストパフォーマンスを
良くして少しでも利益を上げる
ようにしなくてはいけない。

作家は自身の作品を客観視する
ようになるという。作品が作家の元を
離れて、独り歩きをし始めるそうだ。
また、作品を書き上げた時の作家は
その時間の作家であって、今では
別の作家のように思えるそうだ。

だから作家は作品をただただ遠く
から見守るしかなくなってしまう。

時間が経てば、アマゾンやブックオフ
などの企業の食い物になり、作家への
恩恵は何も帰って来なくなります。

それでも、作家として作品を
書き続けるのは、作品の成長を
見届けたいのかもしれない。
作家の思想が人々の目に触れて
あらゆる変貌を遂げていく姿を
楽しみにしているのだろう。

時間をかければ内容は深みを
増して、その後は人々にどう
享受されるのかが重要である。

作家と作品と時間の関係は
その3点が上手く組み合わさる
ことで新たな創造行為に繋がる
ということになるだろう。

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個人名
あたし

あちき
わい

オレ

おい
自分
おいら
オラ
わたくし

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好奇心 推敲

屠殺について調べていくうちに
ある物語と出会った。

それは[子供たちが屠殺ごっこをした話]である。あらすじはフリースランド(現在のオランダ)のフラネッカーという町で子供たちがそれぞれ分担して屠殺屋ごっこで遊んで”豚”役の子供を殺害する事件が起こった。
“肉屋”役は裁判にかけられる。裁判官の1人の老人が「林檎と金貨を彼らの目の前に用意し、林檎を選んだら無罪、金貨を選んだら死刑」と提案。判定当日、子供たちは笑いながら当然のように林檎を選び、無罪が確定した
父親が豚を潰す様を見たある兄弟は、それぞれ肉屋役、豚役となって兄は弟を殺す。末子に湯を使わせていた母親は、その光景を見て、弟の喉もとの剣で兄を殺すが、母が目を離した隙に末子が風呂場で溺れ死に、それを悔やんで自殺する。
そして、畑仕事から戻った父親はそれらの光景を悲しんでまもなく死んでしまう。

この話はもともとグリム童話集の中に
収容されていたが、あまりにも残酷
なので第二版以降から抜かれてしまった。

子供が好奇心旺盛なのは
仕方のない事だが、
私は子供が純粋すぎて
恐ろしいと思った。

好奇心は恐ろしく、理性を持って
対処しなければいけない。

屠殺を調べて私の食生活に
嫌悪を抱いたが、すぐに
菜食主義者にはなれないだろう。

好奇心を素晴らしい方向に
活かせるように向き合いたいと
思う。

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優柔不断 おわり(推敲)

「直感」を頼りにして、自分の中で指針となる一つのルールをつくることにした。

それは、迷ったときに、最初にいいなと思った方を選ぶというものである。

しかし、「直感」に根拠はないのだから、不安が生まれ、結局迷ってしまう。

また、こっちにしようと思ったのに、手や口は異なる方を選んでいることがある。このようなことが、起こってしまうことは不思議である。

こう振り返ってみると、長い間つきあってきた性質と程よい関係を保つまでに至るには、まだ時間が必要そうである。

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貨幣の価値(推敲)

貨幣には絶対的な価値がある。貨幣はモノの価値のものさしであり、そして貨幣の価値はモノのモノとしての価値と同等である。100円玉と100円で売られているモノは同じ価値だということになる。貨幣によって価値の尺度が決められたことによって、私たちの身の回りにあるあらゆるモノに価値の差が生まれた。その差はモノとモノの間に格差を生んだのである。

続き

 格差は私たちの生活に大きな影響をあたえた。同じ用途のモノであっても、価値に差が生じることがある。例えば、安価なカバンと高価なカバンがあったとする。どちらも荷物を入れて運ぶためのモノである。それなのになぜ価値に差が生じるのか。それにはいくつかの要因がある。ひとつは、カバンそのものの品質の良し悪しが価値に差を生んでいる場合だ。この場合、良品質なカバンが高価なのは納得できる。他には、カバンがブランド物であるか否かである。必ずしもブランド物が良品質だとは限らないのに、高価なブランド物を入手する人は多いだろう。それはなぜだろうか。

続き

 人々が高価なブランド物を身につける理由の一つとして、高価なブランド物を身につけている人は価値のある人間だという社会の風潮があげられるだろう。ブランド物のカバンを使っている人は価値のわかる人、価値のある人として見られる傾向があるように思われる。ブランド物を積極的に使う人は自らの価値を高めるために、ブランド物で己を着飾っている人が少なくないはずだ。

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「作品」「作家」「時間」の三つの関係 (11151006)

作家が作品をつくっているとき、作家の立場は強く存在する。しかし、作品が仕上がって作家の手を離れ、美術館などの空間に飾られたときには、作家の存在はすでに薄れているように感じる。そして、鑑賞者がその作品を見ている時には、「作品」を見ているのであって、作家のことは意識されていない。もちろん、その作家の知名度によっても度合いは変わってくるのだろう。しかし、作家の名前ありきで作品を見ることは、純粋に作品と向き合っていることにはならないのではないだろうか。だが、純粋に作品と向き合うことは、とても難しいことである。鑑賞者側には、その作家について詳しく知っている人もいれば、初めて目にした人もいるだろう。また、美術に詳しい人であれば、製作の仕方や、どういう作家や作品に影響を受けているか、などもわかってしまうことだろう。それでは、作品を見てからキャプションを読んでも、あまり意味がない。しかし、作家は変化していく存在であるから、作家の作品または作家自身をすべて理解できている人はいない。また、仕上がった作品よりもプロセスを重視する作品もある。そして、そこには「時間」が関係してくる。作家は「作品」になる前のものと向き合い、だんだんと「作品」に近づけていく。そこには、「時間」が存在し、作家によって作品によって、その時間の長さは異なる。このことは、作品の仕上がりに大きく影響する。こうして考えてみると、「作家」と「時間」がつくり出したものが、「作品」になるのだと思わせられる。


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作品、作家、時間の関係

 作品、作家、時間の三つは切っても切れない関係であると私は思う。また、作家と時間、作家と作品、時間と作品の各関係も同様に、決して切れるものではないと思う。というのも、作家が作品を作る上で時間の経過は経過は必ず起こる現象であり、この時点で三つは密接に関係せざるをえない状態にある。また、何か一つの要素が欠けてしまったとしても、作家と作品の関係は言うまでもなく、作家と作品に対して時間は平等に作用するものなので、これらの関係はどうしても切ることができない関係なのだ。

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争≒生(推敲1)

「世界から争いが絶えることはないだろう。」
人間は欲の塊であり、何かを手に入れれば、また何かを欲するのだ。
例外なんて存在しない。
私は常々そう思う。

我々がまだ動物だった時代、我々は生きるための食料を得るために
戦った。
我々が人間になって間もない時代、我々は生きるための縄張りをかけて
戦った。
我々が武器をもち軍を率いて争った時代、国をかけて戦った。

これらの戦いは何千年何百年何十年たった今でも続いている。
過去の我々に各々の夢や理想があったかは、私にはわからない。
しかし、今も「生きる」ために我々は争い続けている。
「生きる」を求めたのだ。

「争い」と「生きる」は決して切り離すことができない関係なのだ。


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優柔不断 おわり

「直感」を頼りにして、自分の中で指針となる一つのルールをつくることにした。

それは、迷ったときに、最初にいいなと感じた方を選ぶというものである。

しかし、「直感」に根拠はないのだから、不安が生まれ、結局迷ってしまう。

また、こっちにしようと思ったのに、手や口が異なる方を選んでいることがある。このようなことが起こってしまうのは、不思議である。

長い間つきあってきた癖と程よい関係を保つまでに至るには、まだ時間が必要そうである。

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