弔父百首
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《ここに指し示されているのは明らかに、近代的自由詩形式につねに潜在する範例としての定型の問題であり、「散文」と「韻文」の問題であり、さらに一冊の書物という形式の問題である。(略)こうしてすぐれて批評的な「短歌」の実践について、にもかかわらず別の或る現代詩人は、それが作者における「詩の空洞化を背景」とした「伝統」ないし「共同体的な帰属意識」への「ストレート」な加担であり、「極限的な状況でふと定型が忍びよって」来たときに作者が「情緒的なもの」に「簡単に書く作業を譲っ」た結果だと評した。あきれるほかない浅薄な認識である。(略)「断片性」や「散文詩」の問題をおよそ最も先鋭に具現化してきた詩人にとって、「短歌」を作ることは、そのまま日本語におけるさまざまな詩形式の重層的で相互干渉的な規定の謎に向き合うことを意味しているはずであり、その実践を読むことは、今日の「現代詩」の疲弊と不活性に或る角度から根本的に照明をあてる作業ともなるだろうからだ。》 守中高明「「日本近代詩」とその分身たち――平出隆『弔父百首』をめぐって」(新潮2000.11)
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